仕事の面接に出向いたが、直前にキャンセルのメールが入っていたのを見過ごした。スカとなったわけだが、コネと公平性の劣化を感じた事態だった。新卒から数十年の実績と信用は意味を為さなかったという事だ。募集側と応募側のギャップを痛感し、“馴れ合い”を実感した。過去を共有していないのだから、見知った者を優先するのは理解できるが、それが募集者の実態を反映しない虚像と映る。応募側は真剣勝負なのに、募集側は見知った・コネクション優先で、高リスク者を採用し、結果的に劣化した認知力者を採用する。結果として、事故に結びつき、事件となるケースが多発している。まぁめげずに仕事探しは続けるが…。リスクを軽減したい意向は十分理解できるが、その方法は安直過ぎないか?誰がその責任を負うのか?経済活動を続ける中で、リスク回避=損害忌避は当然だが、ベクトルが違う気がする。一音も違わない演奏は安心するが、楽しくは無く、二度と聴きたくない。安心は危機回避とほぼ同意義だが、更なる楽しさ・発展には結びつかない。コンクール入選にこだわり、音楽性を無視して権威に依存しがちな日本の音楽界に明日はあるのか。米国音楽性向をチャットGPTで絞込み作為生成した商業主義一辺倒のKpopの衰退はそれと同等であり、今後日本が辿るべき途ではないのは明らかだ、と考えるが如何。若い者の方が可能性は大きいが、キャリアを無視したら継続性が皆無な音楽が蔓延ることとなるのでは?閉塞的な日本の音楽界を離れた音楽家が世界で評価されたあと国内凱旋するのは、もう終わりにしたら如何?
信用と信頼
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