国威発揚

サッカー世界大会での政治利用が問われている。残念、遺憾という論調がテレビ・新聞では多い。国民の応援を得て、とか勇気を得てなどが選手やサッカー界とそれに属する人々に多いが、そもそも選手はプロである。サッカーをしてフィーを受け取る職業選手である。国際大会で好成績は国民として意気が上がる、というのは程度の差はあれ、間違いないだろう。ファンが増加すれば、業界へのカネはより集積し、選手への還元も増し、選手の意気も上がるという図式である。ファンはカネを吸い上げられるだけである。それで楽しい人はどうぞ。べつに否定はしない。カネをつぎ込む趣味はひとによりさまざまである。本人が納得していればそれで良い。数学やチェスなど世界大会も地味ながら続いているし、名誉と一攫千金を夢見る者も多い。ただ、それで国威が発揚するかと言えば、一過性である。なぜなら所詮他人ごとだし、それぞれに深い見識を持つ訳では無いし、時の経過とともに忘れるからである。未開国の僻地での医療活動で評価されても同様である。様々な事象に興味を持ち、知見を拡げるのは良い事だ。白いごはん(最近は“白米”と言うが、コメはコメであり、焚かなくては食べられない。だから、“ごはん”と言うべきである。)が世界中に浸透したらどうだろう?ごはんを食べる“文化”が世界の80億人に浸透したら、日本文化が世界を凌駕した。素晴らしい。国威は発揚しないだろうか。もちろん80億人分のコメが生産・供給できる・できないの問題はある。仮定のはなしだ。食に代表される自国文化が世界共通化したら、これほど鼻が高いことはないのではないか?食べる事は全ての源であり、派生して生活や考え方も同化していく可能性が高い。つまり日本化である。世界が日本を目指すのである。多くの自国企業・業界も潤い、経済は活性化著しくなるだろう。特定の業界・人だけに富が集中するわけではない。その大元が日本、となるのだ。スポーツや特定の世界だけでなく、全ての人間、少なくとも日本国民の大半が世界の注目を浴びる。日本に生まれて良かった。日本文化を育ててくれ、繋いできてくれた先人に感謝である。国威の発揚である。

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