他人と比較しない…など、一定年齢になると求められる品格の一つとされる項目である。時間も限られてくるし、各人ごとに条件や状況も異なるので、優位・劣位が意味をなさない。それより自分の思う方向へ、自分のペースで、ということなのだろうが。過去を全く共有していないなら兎も角、一定期間時間を共有した人物の動向は多少なりとも気になるものだ。ただ、自分の足元を見つめて可能な範囲で最大限の考察・情報集め・準備・行動・方向転換を行っている。できるだけ短期スパンでの進行方向・方法の適正確認、スピードの見直しを図るが、判断・決断は自身で行うため、果たして指針のブレは僅かで収まっているのかという不安もある。まぁ社会とある程度の接点があれば、それらの自身に対する反応で修正はできているものと半ば確信しているが。その間に溜まる不安や疲労などは、確信に対するアゲインストの風となるが。社会との接点はこうした利点もある反面、新たなしがらみを生じ、確信を揺るがせたりするのだ。知り合いが病気に罹っていた、スゴイクルマを買っていた、楽しそうな状況を伝えている、などSNSで特段知りたくなくとも、伝わってきて、胸中がざわめく。へぇーでスルーする余裕はまだ持てない。でも自分なりの動きに果実が得られると少し安心する。余裕とまでは言えないが…。練習であれだけ弾けたのに、何故かたかが数人の前で演奏するとしくじるのか。“本来の自分をどれだけさらけ出せるか”が良い演奏の第一歩だそうだ。真逆を演じている。そりゃあ良く見せたいし、普段のとおりかそれ以上に見せたい、聴かせたいと思うのが人情だから。それが手・指の動きバイアスをかけてしまう。余裕が無いから、本来の実力を膨らませた架空の演奏になってしまうのだ。長く練習すると腰や指が痛くなるし…。まぁ自分に言い訳しても仕方ないので、少ない残り時間を削って頑張るしかない。「東京タラレバ娘」という毎日女子会を開いて愚痴って前進しない30代ОLのドラマがあったけどね。
余裕を持つ
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