どうしたいのか、どうなりたいのか、何がしたいのか、は未だに明確ではない。到達点は何か、どこか、ということに収めて考えているが、むしろそこが難しい。自分の完成形は何かという究極の問いだから。日々楽しければ、幸せと感じられるなら、それでいいんじゃないのという人が多いとは思うけれど。楽して、美味しいものを食べて、お金があって、というのとは違う満足感、達成感が何に因るのか、ということかな。演りたい曲の楽譜を探して、手に入れ、実際に演奏してみて、練習して、何とか形になった時、人前で演奏して、それなりに評価を得られた時、過程を含めて満足感・達成感は得られるけれど、それがやりたかった事?到達点?という事。そこから進んで今の目標点・到達点を設定しているけれど、本当にそこが到達点?という想いもある。そうこうしている裡に死が近づいてきている。つまり時間が無くなってきている。人生とは、“死こそが目標であり、死ぬまでの壮大な暇つぶし”という東大生のことばがあり、まさにそれだなとも思うと納得したりするが、なんだかなという想いも残る。エジソンやコペルニクスとは言わないが、多くの人に覚えていてもらえる事を成し遂げられたらすばらしいとも。彼らの様に、他の殆どを捨てて一点に集中して、いわゆる楽しみを捨てて邁進することができるか、できたか?と聞かれれば無理だと即答するし。ならば、そこまでできなくても、残された時間で少しでも多くの人の為になり、功績らしきもの、を遺せればという想い、か。結局承認欲求か?ユーチューバーか?まぁ同じかも。世界の片隅で誰にも知られずに生まれて死ぬのも、自分が納得・満足すれば本当はそれで良いんだろうけど。でも何だかなぁ…。こうしているうちに残り時間が数十分減ってしまう。探してみよう、実行しよう、少しでも満足してみよう。どうせ暇つぶしなのだから。
もやもや…
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