天才

やはりクラシック音楽界には、オタクが居た。音大出身者で音楽で生計を立てられない者、普通より頭一つ突き抜けていても天才ではなかった者、はその他大勢と同じなのだ。売り出し方や、絶対的なコンクールで優秀成績を獲得した、などの要因が無い限り、天才で無ければ生計は立てられない。〇〇恊などに入れた者はまだ良い方なのだ。大半は、個人教授などで食いつなぐのがいっぱいである。開催や海外フィルの呼び込みなどを生業にするという方向を変えて生き残る者もいるが、人脈が無いと中々難しいのが現実である。天才、ではないが何とか世に出て生計を立てられていても、コンサート毎に“選曲が毎回同じで怠慢”とか“、“最近、気を抜いている”とか、重箱の隅をつつく様な、応援しているのか、上げ足を取っているのか不明なコメントをする自称ファンも多い。聴く人あっての音楽・演奏ではあるが、聴く人のレベルもある。演奏者本人の目指す方向と、聴く者(ファン)の志向ず一致していれば、それこそ天才と言って良いだろうが、それがズレていれば天才では無い、のか、聴く者が風評に乗っただけの紛い物なのか。いずれにしても不幸である。歴史上、多くの楽才が死後にその評価を確立していたりする。だから現在無名でも、後年評価される天才も居るのかもしれない。世間的な評価は本人も望みつつ、現在一定の本当の聴衆(聞く耳を持った聴くプロ)を確保していて、生活できる一定の音楽活動が続けられていれば、本人とて決して落胆はしていまい。では今後どうしていったらクラシック音楽が存続していけるのか。一定数の演奏者の育成は必要な一方で、マスコミに踊らされた評価では無く、本当に聴く耳を持った聴衆が必要なのだ。そのためにはクラシック音楽の間口を拡げ、本当に音楽を楽しめる人達を育てることだ。音楽界に蔓延る権威主義や、拝金主義(音楽も生活のためである限り、喰える様になることは大事だが、迎合して感動させられる音楽を捨て去ること)は排除すべきだろう。清貧は求めていないし、サラリーマンでも顧客の為とかより良い製品を世に出すなどに精通する事は出世はしなくても一定の満足度や生活レベルは得られる筈であり、それと同じだ。飛びぬけた発想や、営業力。それを続けていく事で、顧客のニーズに合致して大成功を収め、名経営者となるのと同じである。自分だけ楽しければ良し、という“オタク”はどの世界でも不要なのだ。

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