介護・福祉の業界に触れる機会が増えてきた。転職のためである。業界を覆う薄い膜の一部を破いて中を覗いてみると色々と見える事がある。施設の高齢送迎ドライバーの死傷事故が多発しているが、多くは高齢であるが故の事故が大半と感じられる。蒙昧状態や心身の老化・劣化によるものなど、当事者の経済環境からやむを得ない就業も十分感じられ、必然性と閉塞感を抱かざるを得ない。施設内の入所者・通所者などの表情も一様に無表情で、理性や感情は外見からは読み取れなかった。自分が、何時かそこに居ることになる哉もしれないという惧れと同時に、生きることの壮絶さを感じた。そんなになる前に自分で、あるいは社会がそれを暗黙の裡に封殺する悪?習慣がかつて世界中にあった。おば捨てや、自ら世俗社会を離れて隠遁・死を迎える、という風習は表面上は否となった。一見やさしい社会の様だが、黒い感情を見えない若しくは見ない様にするのが正義となったのだ。介護・福祉界隈には、そうした淀みが渦巻いている。いじめはダメ、老人や健康弱者にもやさしくするのが正しく、SNSで特定者をつるし上げるのは犯罪、という風潮は誰しもが心中に持つドロドロとした感情の発露ができない似非ホワイト社会を強固化し、皆が息の詰まる社会に向かいつつある。“王様の耳はロバの耳”の本音をぶちまける穴がどこにも無くなるのだ。映画や音楽、絵画芸術を観ながら深く自身の心中のみで本音を語るのだ。だからそれ等に薄っぺらいものは求めたくない。人間の持つ嫌な部分をさらけ出したモノを観たい・聴きたい・感じたいのだ。テレビはその役割を自ら降りた。穢いものは見せたくも、聴かせたくもないが、自分を表現する音楽を聴いてもらうことは続けたいとと考える。
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