真実と事実

“本当の真実を知りたい”というセリフが最近多く聞かれる。言葉のプロたるテレビ局・ラジオ局アナウンサー、いわゆる有識者と言われる方々も平気で使っている。殺人事件でも真実は…という言辞が用いられる。が、事実としては犯人が被害者を殺したという事だけである。犯人なりの事情≒真実があり、被害者にも同様のものがある。犯人には殺す以外に解決方法が無かったのだろうし、殺される側には、どんな事情があるにせよ殺人はぜったいダメと言うだろう。“兎に角、何が有ろうと殺人は違法だしダメ”というなら、被害者に散々嬲られ、虐げられた犯人の立場は何ら汲みされないのか。そういう状況に周囲も加担していたとしたらどうだろう?左翼では無いし、殺人自体を100%正当とは考えない。真実は人の数だけ存在する、と言いたいだけだ。最近オールドメディアと称されるテレビだが、“視聴率が取れるから”という理由で京都の尊属殺人を連日追い回した。本当に大半の人がそれを観たい、知りたいと思っただろうか?トランプは?ウクライナは?中国は?景気対策は?為替動向は?大半の国民はバカではない。そこで求める情報が無ければ、正確度は兎も角としてSNSに求めるしかない。だからテレビの衰退が加速する。身内だけで凝り固まると周囲が見えなくなる。正確に音符を追いかけるミスの無い演奏に賞が授与される。でも楽しくない、面白くない演奏から大衆は離れていく。そして衰退する。クラシックギター界は、その途をひたすら突き進んでいると感じる。音量も無い、音域も狭い。そんな楽器で表現域を拡げ、一般聴衆に受け入れてもらうには工夫が絶対的に必要だ。孤高を気取り、仲間裡だけでオタク会話で盛り上がっているとテレビの後追いで消滅の途一直線である。加速度的な衰退(自滅)という事実に目を向け、仲間内の“真実”は一旦脇に置いたら如何?

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