人生とは、という問いかけに或る東大生が“死ぬまでのひまつぶし”と答えた。すべての東大生では無いし、それが正解とも違うだろうし、ある意味事実だろうとも感じる。人が生きる意味なとてそもそも無いのかもしれない。堀江貴文や前の安芸高田市長など最近露出の多い高学歴系・アタマ良い系の方は運も良かっただろうが、自分は他人の数倍も努力したから今ここにいると、努力せず・考えないで現状に不平を言う者に厳しい言を吐く。運が悪くて、生体工学的あるいは遺伝子レベルで、努力が実を結ばない・結び得ない者もいるとい事には考えが及ばないのか、無視しているのか手厳しい。『お前は誰だ、自分は誰なの』というのはカラス/ウピ子の一節だ。それに対する答えを出せない自分が情けない、とも。業界・斯界のトップに立っても、そこには何もなかったという事をインタビューで答える者もいた。それが判る事も一つの成果だとは思うが…。ビリオンダラーや各界のトップが後に自殺したり、宗教やとんでもない世界に飛び込んだりするのは、そこに何も無い事が分かったからなのかもしれない。でも立ってみたいよね、その位置に。見てみたいね、その位置からの眺めをを。泣き言を言わず、他人の何十倍の努力をして。なかなかできないんだよね、それが。そぁ練習々。
ひまつぶし

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