何が好きなの?

「国宝」がロングランしている様だ。未だ観ていない、というか観る気は無い。それなりに評価されているし、意固地になっている訳でもない。巷では、映画を観て原作を読んだ、とか歌舞伎が好きになった、という話を良く聞く。本当に気に入り、歌舞伎を再認識したという方も居るだろうし、それはそれで良いことだ。ただ流行りに流されて“観ておかないとまずい”という想いで観たり、読んだりするのはどうなのか。流されて歌舞伎を観に行ったが、あまり面白くなかったとか、文庫を買って読んだが、その後は特に他の書籍は読んでいないなど。俗世的な意見となるが、結局流されて観た・読んだが、それっきりの方が何と多いことよ。歌舞伎や書籍の人気低下が甚だしく、その挽回の一翼を担ったという考え方もあるだろうし、それでも良い。個人的には、自分で判断するということから遠ざかっている、自分で考えることを避けている人が多いのだと考える。かつて文学賞を獲った作品は読むということをしていたが、所詮他人の評価であり、それにりに感動したということはほぼ無かった経験を持つ。本屋大賞の方がまだましだった。技術や理論、製品の様に結果して分かり易いものは裏付けもあるので、評価者の評と自分の感想が一致しやすいのと対局にある。芸術関係は特に、評価者の好みや時代背景、大人の事情などもあるため、猶更に眉唾となる。最近は極少数しか評価しないモノを敢えて好きになる“推し”という動きがあり、世に言う多様性の時代なのかもしれない。しかし依然として他(多)に流される人の何と多い事よ。自分の鑑識眼が高いという上から目線のはなしではなく、自分の好みに正直なだけである。ただそれを強主張すると白眼視されることも多い。だからこだわりが無いなら、他(多)に流される方が良いと感じるし、楽なのだろう。えぇーそんなものが好きなの?などと言われるのは面倒だし、要らぬ誤解を生んで人間関係を壊したくない、と考えるを誰も否定できない。一見、こじんまりした外見の江戸前鮨より、これでもかと大きなネタの載った鮨が良いという風潮も、同じ流れだ。好きな言葉ではないが、こだわりが無くなったら、本当に自分の好きなものは無くなるのではないか?それで楽しいか?自分の好き、は基本的には他人と共有できないモノではないか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました