“讃歌”(篠田節子)を読み終えて

桐野夏生と同じ社会派作家と称される。サブエポックメイキングな事象を捉まえて、自身の考えを添えて、「みんなこんな受け取り方?こういう見方もあるよね。」という感じの作風は似ている。天才と評されながら、不遇な経験を経て、自閉とも言える空白期間を経て、ふとしたきっかけで爆発的に復活。しかし、カネやヒトの絡む作為的煽りに次第に世間は冷めていき、再び寒風が吹き始めて不本意な?結末で終わる、という流れ。まとめるとチープな話しになるが、ネタがあれば、それを元手に一儲けという輩はどこにでも、いつでも現れる。周囲の目線・視点で物事は多く語られるが、本人目線ではどうだったのか、という話しだ。バイオリンで一躍注目を浴びつつ、欧米現地では全く歯が立たず失意のもとに帰国する。テクニカルやクラシック音楽の本質に無頓着な素人に徐々に浸透し再び浮上して新たにヴィオラで復活するも、プロからすれば五万と居る平均より少し上のレベルと酷評され自死する。“最初から判っていたんだよね。自分の事だし。でも持ち上げられたら舞い上がっちゃうよね。”ということだ。喝采を浴びる、脚光を浴びる。浴びるのは気持ち良い。素人はそれで十分だし、満足する。自分の演奏で楽しくなってくれる人が一人でも居ればそれでハッピー、練習・演奏し甲斐がある。でも音楽でカネをもらうプロは、そうはいかない。芸能人(何をする人が不明な、いわゆるタレントは別)にも多く見られる自己欺瞞や自身の芸に対する不信・不満・不安からのプレッシャーは、営業マンの責任額に対するそれとは比べ物にならないだろう。家族が不満無く生活できるレベルの給料がもらえれば良い、なんていうチャラチャラした人達(もちろんそれで悪くないし、考え方の違いであり、人から責められるべきことではないのは明白)を見ているとプッツンしてしまう。競馬とかギャンブルはしないんですか?とか聞かれたら、毎日自分とのギャンブルです、と答えたい。実際はえぇ、まぁとか答えておくけど…。

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