おバカ映像、とか

くだらない映像の羅列番組が多い。それなりに面白くはあり、張り詰めた気持ちをだらーとするには丁度いい。そういう映像を創出してきたユーチューバーも、今や昔の時代の様である。半年から長くて一年の命脈で、流行りの映像や人物は矢継ぎ早に出てきては、廃れる。一年以上続けば、それだけで一生食いつなげたりする。所謂ドさ回りである。賭けてみる価値はあるかもしれないが、それで一生を費やすのは如何なものか。自分とは相容れない。その後何年も、“あぁあの時の。あの人。あの映像。”と言われても、人々の記憶に残るだけ価値はあるのかもしれない。一時の流行りすら生ぜられない、ごく一部の人々の記憶にしか残らない人々の動きや成果は、如何ほどの価値が有るのか。浅薄でも数万・数百万の人々の記憶に残るのと、自称高尚な人々の誰にも知られない成果と、公平に見てどちらが意味があるのか。多くの人々に知られずとも価値ある事は存在しようが、周知されない事象は無いに等しい。誰にも好かれる駄菓子と、栄養満点だが美味くは無い古来からの菓子では、前者が末永く引き継がれ、生き残っていくのだ。比較対象に好例が導けないが、カルビーのかっぱえびせんと、京都の落雁のようなものか。時の流れや、時代に伴う人々の好みの変化などは無視できない。博物館入りすれば永遠に資料として残るが、文化としては終わりである。クラシックは、そうなりつつある。迎合すべきでは無いし、迎合して変化し過ぎれば、原形を留めることも難しくなる。でも方法はある筈で、いつまでも“お高く留まって”いるなら博物館行きは避けられないのだ。ただし、お気楽映像・映画・音楽は、偶には楽しくて嫌いではない。

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