映画「プラトーン」の作中曲だが、楽譜ショップに行って探したところスコアならあるがギター譜は無い。編曲者or出版社が判れば捜せるが、ピースでは無いと思われる、との事。ウェブでサイト検索したが、マイナー編曲者かリリース業者しか無いのが判明。そもそもオーケストラ曲なので無理筋ではあった、が。ギターの音域の限界=弾ける曲の限界感を実感した。天才山下君なら「展覧会の絵」も弾けるのだが、素人には同楽譜があっても再現不可能だし。三本の矢、の話も想起されるが、各楽器の音質や音域を補い生かして総合楽器として聴衆に届けるオーケストラの凄さを再認識した。DNAの繋がりを基にした兄弟・姉妹の協業・協力は古来から、他人同士のそれと比較して強いものとなる、とは良く考え・認識できたものと改めて確認する。半面、わずかなボタンの掛け違いは根深い負の感情となって吹き出す事もあるのだろうが…。得てしてそれは他人≒嫁などが絡んだ場合に発生するのではとも感ずる。田中角栄の娘が「身内か他人か使用人か」(弱冠違ったかもしれない)との言質を吐露したが、実際当たらず言えども遠からじ、といったところだ。自分が世界から居なくなった後、何とか皆で仲良く協力してもらいたい。個の力を信頼という名のもとに、補填し合い、相乗効果を生み出してもらいたいというはなしだ。
adagio for strings op.11/samuel barber
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