と、いうタイトルの邦画があった。精神障害の高齢となった娘をどう扱っていったら良いのか、良かったのかという内容だったと思う。観ていないので正確でないが。対象者が親族であったり様々だろうが、二十歳過ぎの成人で何らかの障害がある、あるいはそれを背負った者を否応なく本人の自立のため放擲するのか、支援・養護するのかなど、シチュエーションも様々だが、高齢化と格差社会化の中でじわじわと増加しているのであろう。正解はおそらく無いし、どこかで気持ちの折り合いをつけて決断するしかないのだろう。自分に直接は無関係としても街を歩けば、それと思しき者達は多く見かけられ、暗然とする。音楽に興味が無い、というより、自分の知らない事に興味を持てない者もいる。へぇーという反応は、その言い方もあるが、大半は興味なしの裏返しの言葉である。興味なしなら、へぇーで終わり。多少とも興味が湧けば、「それはこういう事?」など、続く言葉・反応がある。聴いたことがある曲やメロディーに多くの者が反応し、そこから曲の成り立ちや作曲者・歌い手・奏者に及べば、本当に興味がある可能性が高い(営業の場合は別)。その際に聴いた者の知識・知見が大きく影響するのは論を待たない。だから知識・知見の少ない・低い者はターゲットゾーンが狭いため、ほぼ永遠にその領域から抜け出せず、新たな知識・知見を得られずに狭い世界で生きて死ぬこととなる。知らないことは存在しないのと等しいのだから、見えていても脳に届かず、気付きも無い。結果、知らないことは知らないまま、となる。知識・知見の高い者や未知の事象と接触したり意識して、考えることが唯一の途なのだが、そうした者達ほぼすべてがこれをできない。やる必然性自体感じられないからとも言える。結果的に、自身の知識・知見の範囲内でしか事物を捉えられず、堂々巡りとなる。高知識・知見を有していても高難易度の問題には全面解決には至らずというケースも多いが、彼らにはより多くの解決手法や、比較的高収入による物理的解決法もあるため、より課題を解決に近いかたちに持っていける。知らない曲だから興味が無く、その後も興味を持たなければ、何と狭い人生となることか。「人生とは壮大な日暇つぶしである/ゲーテ」なのだ。楽しめる範囲は拡げた方が良いに決まっている。
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