何でこうなった?

エレキギター、シンセサイザー、シーケンサー、モジュール、ボカロetc。音の選択肢の多さ、オクターブの拡大、1人での多重奏化など、バッハもモーツァルトも当時に有ったら絶対使っていただろう。人間にしか出せない“ゆらぎ”も出せる様になってきたらしい。ただデジタルは基本単元音の連続であり、ミクロの世界に入ると音はブツ切れ状態。その間隔は極微細なので普通の人は聴き取れない。昔の“アイポッド”はこの間隔が広く、大音量にすると音の途切れ感が感じられた、らしい。性能的に、音と音の間に休符が続く音楽だったということ。歌詞がとんでもないところで切れて、最後の歌詞が次の音節の最初にくる、なんとていう事が当たり前になっているけれど、メールで句読点を打たない、というのが当たり前になった昨今では、それも普通の流れなのかも。繰り返しの際に、最後の音を最初の音とする、というのはクラシックでも有るが、目的と使い方はこれとは異なると思う。曲の表現という点では格段の進歩であり、曲制作者側からすれば垂涎だろうが、聴く方からするとう~んとなる。敢えて大げさに腕を振ったりして曲想を目で見て分かり易くするという技法はクラシックでもあるし、そこは聴衆も乗り易い。でも最初にステージ上に各種電子機器・楽器が並ぶと出てくる音には感動するものの、“これは何を聴かされているの?”とも感じる、のは自分だけか?私生活や性格が悪くてもどうでも、演奏者の曲に対する姿勢・音楽性が感じられ、それが満足するモノだからカネを払って聴きに行く価値がある、と思うのだが…。電子楽器とて、知識習得や購入費・時間をかける点では従来楽器と変わりないのは認識しているけど、何だかね。

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