暑い日差しの中を総重量10キロ前後のギターを背負って移動するのは酷暑や極寒の中での労働を強いられた捕虜や且つて西欧諸国に蹂躙された各地の先住民奴隷もさもありなん。演奏地にたどり着いた時には、精も根も尽き果てている、状態。まぁ年齢のせいもあるだろうが。少し休んで、空調の効いた涼しく少し薄暗い場所で演奏すると、何と良い音のする事か。聴きに来る人々も同様ではないか。“なんでこんなに暑い中(寒い中)、わざわざ出かけてこなくてはならないのか、意味分からん!”てね。暑いとか、雨の中で行われる“~フェス”というのは、演奏者も聴衆も熱狂というものが存在しなければ、成立しないのでは、と思ってしまう。体が弱いので…。別にディスっている訳ではなく、多少のミスタッチや音の外れなどは度外視され、演者と聴衆の一体感が要だし、それを求めている部分もあるのだろうか。個人的には、温度や湿度の快適さがあって初めて、音を聴く気になる。そうでないととても集中して聴く、などできない。15~16.17世紀の西欧の貴族が、外気の寒暖と切り離された高い天井の屋敷の部屋で、ワインを嗜みながら聴く音楽は、そりゃあ楽しかっただろうな。ランニングしながら、ツルハシ振るいながらヘッドフォン・イヤフォンでクラシック聴く人ってあまり多くなさそうだし。聴く環境を限定しがちなクラシックって、やはりメジャーになり難いと思う。と考えながら酷暑の中にギターかついで出かける時間が迫る。
貴族の楽しみ

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