判断と決断

自分の知識・見識・能力からできる事を導き出すのは大抵の者にできる。好きな事や、興味がある事だけをして生活するにはカネがかかる事も、余程の低次元知見しかなくても分かる。つまり判断する事ができる。クルマが好き、音楽が好き、だけどそれを生業にできるほどの知識や能力が無い、或いはその方法がわからないのは知識の積み上げ方が偏っていたり、知識の吸収の仕方に横展開が無かったりするからだ。俗にいうカッコいいクルマに乗りたい、速く走りたい。そのためには機械工学や物理・数学・デザイン学なども日必要になるし、場合によっては合法的に走るための交通法や各地の法令なども学ぶ必要があるかもしれない。一方でカッコいいクルマで速く走る事による自身への報酬は何かが認識できていないケースが多い。大抵は、それによってカッコよく見られたい、モテたいなどが多いように感じる。つまり報酬=目的は、カッコよくモテたい、のだ。カッコよくモテるための手段は他にも沢山ある。体を鍛えてアスリートになる、懸命に勉強して医師や注目される職業に就くなど。でも大前提として努力するという事が嫌いな者が、報酬=目的に近づくために一番楽で楽しい方法(手段)を選ぶと、全く違う方向に進んでしまうのだ。これは中々に悲惨な結果となる。確かに判断はしているが、努力して報酬=目的に近づく行為が無いため、逆に遠ざかってしまっている。判断は誰でもできるが、それを突き詰めるためには努力が必要で、それはどういった内容か学び、実際に取り組もうとするのが決断である。努力と、決断とその後の努力は厳しいものであり、挫折もある。それを乗り越えた者は自分の決断に誇りを持てるだろう。必ずしも思い描いたレベルに到達できなくても、それなりの自信は持てる様になっている筈で、それこそある程度のモテ方はできるかもしれない。持って生まれた恵まれた環境や素質を持つ者は実際に居るし、うらやましいがそれだけではモノにならず、やはりそれを活かす努力は必要となる。運を手にしていると感じるならば、それを判断して感謝し決断して更に努力すれば、それを持たない者からも認められる事になるだろうし、真の勝者になれるだろう。誰も遊んでいる暇は無い筈だ。

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