何か分かった気がする。何がしたいのか、したかったのか。日本のギター人口は極端に少ない。構成層も大半が高齢者。若年層の大半は、音の可能性が広いエレキギターに視線が向いている。そりゃそうだ。エフェクターや、PCの打ち込みなどをリンクさせれば多重奏も簡単、とくればマンパワーのみに頼る従来のギターに魅力を感じないのは当たり前。バッハだってムソルグスキーだって当時にそれらの機器があったら当然の様に使っていたと誰でも確信するだろう。真空管を使った音響機器や、ライカのカメラなどが今でも好事家の興味の対象となっていて、それでしか出せない“音色・色彩・雰囲気”などがあると一般的にも一定の評価と認識はされている。けれど現代機器に圧倒的表現の幅があるのは事実で、その希少かつ特異な部分も言語化されて現代機器・楽器に組み込まれていくだろう。今は“機械的でない何とも言えない音・表現力がある”としか評されていないが。プロとして奏ってみたかった、けど生活もあるし、そこまで人生賭けられなかった。そこまで打ち込んでいなかったけれど、今でも好きだし、時間があったら製挑戦してみたい、という想いを持つ楽器経験者は実は多いと思う。彼らが楽器を始めたきっかけは、上手くなりたい、だったかもしれないが、本当の想いは皆に見てもらいたい、聴いてもらいたい、注目されたい、だったのてはないか?それは大した努力や練習もせず、明らかに才能が無いと認識していたから、あまりにもオコガマしく、図々しい願いと自覚していたからなのでは?でもたった一度の人生で、その願いを果たせるなら果たしたいと考えても、誰も責められないし、責めるべきではない。そうした人々≒自分の想いを実現させたい、というのがこのPJの目的なのだ。何がしたいのか、したかったのか、他人に想いを伝えて、話して、初めてそれが分かった気がする。言語化して初めて自分のアタマの中が整理できるのだ。もし何かモヤモヤが残っていたら、それは何とか自分で、他人と話して言語化するしか途は無いのだ。
分かった気がする

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