ゲーム音楽作曲者の植松伸夫がテーマ。背景音楽としてのゲーム音楽だが、その音を聞けばその状景が浮かぶという点では、映画音楽と相似しているかも。音を紡ぎだすには先ず基本として音楽の素養が基礎として日必要にはなる。聴き手である我々は、それを受け止めれば良い。言葉で表せないけれど好き、というのは言葉の限界も示している。言語で表現できない音楽・絵画・素晴らしい景色・感動の状況など。言語を駆使しても表現できないモノ・コトは沢山ある。それが音楽や映像のすばらしさであり、奥深さ。邦画のポッポ屋の主題曲を弾きたい、というだけでピアノを習っている生徒が居るとピアノ教師から聞いたことがある。誰に聴かせるでも、友人や親族の結構式で発表するわけで無く、ただいい曲なので弾けるようになりたい、との理由だったそうだ。その後どうしているのか。どんな想いで習ったのか。きっと、今すぐでなくとも、その時がきたら聴かせてあげたいと思う人がいたのではないか。100万言を用しても、たったワンフレーズで伝わる事もある。それが音楽の魅力である。スポーツの世界も似ている、という人が居るかもしれない。無理である。その選手に至るまでには膨大な時間と鍛錬が不可欠で、一朝一夕で到達できるものではないからだ。音楽が唯一無比とは言わない。ただ荘厳なオルガン曲も、ある意味ハーモニカで到達可能なのが音楽である、と言えるのではないか。マッチョなフィジカルと鍛錬無しに、心の中でヴィルトォーゾと同じ音が出せている、と思えるのである。あの音を俺が、私が出している、と。ゲームの半音上、シャープな世界というところか。
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