オリンピック最中である。各競技で世界のトップを目指す、勝ち取るのは生半な事では無い。無論賞賛にに値する。出身国の代表という事であれば、本人も応援者も力が入ろうというものだ。決してアンチではないが、番組もニュースもそれ一色である。当事国のフランスでは国民の盛り上がり度は然程で無いとも聞かれる。何年も塗炭の苦しみを耐え、世界一を、いや日本一を目指しているのはアスリートだけではない。もっと狭隘なところで言えば、会社の営業部のトップを目指して猛暑のなか頑張っているサラリーマンも居る。背負っているのが日本国か、家族かで差はあるかもしれないが、共に本気中の本気である。書道全国大会などという知名度の低い大会が開かれ、参加者はしのぎを削っている最中化もしれない。昔は兎も角、現在はオリンピアードは大会参加後に各競技団体の役員や民間放送会社のお抱えタレントなどに就任しも安定した生活も保障されつつある。メダルを獲れば一生安泰など、本人がそこまで考えていなくとも、経済に結び付く事になってきている。何のことは無い、営業マンの社内トップセールス獲得と同等の仕組みとなっており、意識するしないに関わらず、結果的にそこを目指す流れとなっているのは否めない。自身の経済の安定を望むのは当然であり、非難すべきではない。且つては自国民の期待を一身に担って何の経済的見返りも無いなか、ただひたすら“より速く、より高く、より長く”自身の身体を鍛え上げ、メダル獲得すればまだしも、何も獲れなければ、そのまま市井に埋没して一生を終えた者も多かった。プロ野球やJリーグでチームを応援するのは各自の勝手だから良い。弱いからファンを止めるのも勝手。チーム設立・存続の趣旨が、オーナー企業の広告宣伝塔であるのが明らかだから。それを納得・利用して、選手は自分の経済をより高みに上げるべく努力している。ある意味分かり易く、職業アスリートという事で冷静に見られる。誰でも参加し、競技人として頂上を目指し得るのであれば、他の職業と同じに、各自の選択の自由であり。それを応援するしないも自由と言える。フィギュアスケートを続けるためには年間数百万円必要と言われる。貧乏人にはできない代表的なスポーツである。競泳や馬術、ラグビーなどもカネが無くてはできない。興味が無い、反発を覚えるなら見なければ良いだけのはなしである。大半の競技で、強くなる≒頂点に立つための多額の用具代やコーチ・遠征費用などを賄えなければ、続ける事すら叶わなくなっている。自分や家族のためにトップセールスを目指す営業マン世界大会があっても良いのでないか。このご時世に、アスリートだからと言って潔癖さは求めないが、ならば営業マン世界大会があっても良いし、それを応援するのも有りなのではないか。用具メーカーからカネ・モノの支援を得ているアスリートが多い中で、営業マンは誰の支援も得ず(派閥や学閥などの支援を受けるケースも多々あるが)に邁進しているのである。各自の背景や個性、ノウハウは独自のものであり裾野も広いため、盛り上がる事必定と思っているのだが。
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