音楽界派閥

東京藝大、桐朋学園、国立音大などの東京勢に対して、関西勢としては京都市立芸大、大阪音大、大阪芸大などがある。偏差値や音楽レベルで言えば圧倒的に東京勢が強くグローバルである。国際コンクールなどでの優勝・入賞者も数多く輩出している。現在注目されるピアニストの一人である反町恭平なども桐朋卒の東京勢である。奈良の東大寺で奉納演奏をNHKで特集されるなど関西進出も著しい。今一つ関西勢が圧され気味と感じざるを得ない。国際的にはコンクール優勝・入賞が必ずしも高い評価に繋がっていないのは事実である。それが優秀な音楽家という証明である事とイコールでは無いのだ。コンクールで無冠でも広く聴衆に愛され、コンサートはいつでも満員という奏者は沢山居る。△年度〇〇コンクール優勝のバイオリニスト□□などと謳われ、それを背景にコンサートも高額なケースは結構多い。それに合わせて東京なら、男性はスーツ、女性はドレスといった聴衆が一般的であるのに対して、関西の聴衆は被比較的ラフに聴きに来ている方も多い。権威主義と、本当に自分の価値観で聴きに来ている、との違いが感じられる。一音でもミスれば舌打ちされかねない東京会場に対して、関西では多少のミスはスルー(もちろんプロである以上はノーミスであるのが当然である)して、自分の気に入ればOKという感覚のため、SNSなどの書き込みも異なってきたりする。その演奏人口の少なさでは群を抜くクラシックギター界では特にその傾向が顕著で、伝説的奏者・故アンドレアス・セゴビアは数々にプロを育成したが、世界的にも有名なジョン・ウィリアムスやジュリアン・ブリームなどはセゴビア師にコテンパンに酷評され音楽家としては評価しなかった。テクニックでは無く、音楽性も問題を指摘されたのだ(全くギターと縁の無い人からは映画“禁じられた遊び”挿入曲で有名で、逆にそれ以外の評価はあまり高くないナルシソ・イエペスは言葉の端にも乗せなかった)。速弾きなどのテクニックや国際的・商業的成功から同2者の東京勢の評価は高いが、彼らを評価しなかったセゴビアの音楽性を知る関西勢はセゴビオンリーという聴衆が多い。自分の好きな・自分に合う奏者を聴けばそれで良いのだが、どうしてもその裏付けとなるモノが無いと、少なくとも人前で“好き”と言えない傾向が東京では強いとい事だろう。相対的な評価を重視する東京と、自分のみを信ずる関西との差か。(2023.12.17)

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