ややこしい話では無く、音楽とは奏でる者と聴く者と、最低2人は必要なのだと自分なりに認識した。自分で奏して録音し、自分で聴きなおして修正していくという練習方法は一般的だが、技術的には有効だが、自分以外が曲を聴いてどう感じるか。その反応によって曲が完成に近づいていくのだと。理屈的な事を言えば、雅楽は神に献上するもの、欧米の宗教曲は、神に捧げると同時にミサなどで信者に聴かせるためのもの。双方があって初めて曲の傾向の変遷や熟度が上がっていった部分は全てでは無いにせよ、大きな部分を占めてきたのではないか。久しぶりに少人数ながら人前で演奏したが、聴こうという姿勢の者がたとえ少人数でも居ると、緊張するものである。義理で来ていたり、音楽に大して興味の無い者は大勢居ても大した脅威にはならず、むしろ気楽にさえ演奏できるのとは大違いである。ただそうした有象無象の者たちをも惹きつける力を持つのがプロであり、見識のある少数の聴衆に対しては猶更彼らを唸らせる演奏をするのもプロであろう。キチンと練習しようと再認識した日でありました。
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