量子コンピュータ

所謂コンピュータはゼロか1かの二進法で作られている。仕組みは簡単で、段ボールと木片があれば、疑似コンピュータはできる。複雑な質問に対する答えに対応するために、相当数のアミダくじ的なものを作らねばならないが。これを基礎に膨大な数のアミダくじパーツを半導体というモノに置き換えたのが現在のP/Cである。より複雑な質問や数十桁の計算などを行うのに又膨大な数の半導体が必要となるため、世にいうスーパーコンピュータは恐ろしく広大な面積と、それらが発生させる熱を冷ますために、又膨大な電気を使って冷却する事となっている。答えを導き出すために膨大な数のゼロか1かの選択パーツ=半導体には所詮二択しかできない。ゼロか1か、或いはその両方か、またはいずれでも無いかという四択(実際には4つの選択肢のほかにもその間の、1でもありゼロでもある、やゼロでも1でもないがその中間にある、といった選択肢も導き出せる)を基礎とした無限大選択肢が存在するのが量子コンピュータである。つまり仕組みが全く異なるのである。原子やその構成要素である中性子・電子に直接働きかける入力から、その解答を含めた出力も光子で行うため全てはほぼ一瞬であり、広大な設備・敷地とその冷却施設も不要となる。AIが感情を持って自立し、人間に反逆を始めるというSFは量子コンピュータならではの危惧であり、現行のP/C・コンピュータにそれが発生する危惧は不要と言って良いだろう。ピアノやフォルテといった譜面の指示に具体的な音量指数は無く、あくまで汲み取るしかないのが音楽の常識であり、2分音符や付点4分音符、8部休符なども、メトロノームでも容易しなければ正確にはできない。強弱・間の取り方などは全て奏者次第なのである。それが理に適っているとか、聴いていて自然である、から聴衆はそこに感動や奏者の意図を汲み取るのである。三拍の休符が示されていて4拍休んでも“間違い”ではないし、感動できればそれで良いのである。こじ付けの様だが、楽譜のそっくりそのままの再現では無く、作曲者の意図を汲み、さらにそこに奏者の意図を加えたのが音楽なのである。音楽に反乱や暴動は無いが、何の意図も無い、もしくは作曲者の意図を完全無視した演奏は音楽ではない。大枠が定まっているなかでの飛躍が許されるわけで、主役は“人”である。どうしたら戦争が無くなるかと量子コンピュータに聞いたら、人間を滅亡させる、という回答を出しかねない。飛躍的にアタマは良く正論しか出せない量子コンピュータに、音楽を創らせたら聴いてみたくもあり、聴きたくもなく、というところだろうか。

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