と、言った人がいる。そのとおりだと思う。でも不老不死もキツイのではないか。やりたい事はやりきれない、考えたレベルまでは能力的に時間的に届かない、そもそもやりたい事がわからないとか無い、とか。そういう人は残念…というしかない。死ぬまでの時間が本当に暇つぶしになりかねない。ましてや一生添い遂げたい人や、一生付き合いたい友と出会うなどというのは僥倖であるかもしれない。やりたい事が無かつたり見つからなくても、他人のために何か役に立てる人生を送れたら最高に幸せかもしれない。最期も選べないが、意識が無くなる一瞬に「でも面白かった」と言えたら良い。持って生まれた恵まれた環境、あるいは真逆の厳しい環境は運以外の何物でもない。でも運だから仕方ない。それを感謝して周囲の人に貢献するというのも、運を実力として認めてもらういい機会になり、“あいつは運だけでなく、それを十分活かして努力もした”と評価してもらえるかもしれない。いずれにしても全ての人に平等に存在するのは時間である。せっかく与えられた時間を無駄にせず、やりたい事なのか、やらねばならぬ事と勝手に使命感に燃えるのか、暇つぶしなのかは分らぬが、決めたらできればやり切りたい。…けどプレリュード嬰ハ短調/RAKHNANINOVは難しい。調弦調節で数週間、全体の音が何となく理解しつつあるレベルにくるまで約2か月。曲の構成とか、音の配列とか、しっかりと音楽を学ばないと、或いは学んでこそ解る曲なのかもしれない。音大生なら違うのかも。経済と社会性を重視して今更音楽に取り組む者と、前者を無視してひたすら音楽に打ち込んできて経済的・社会的に今苦労している者と、最後には同じ到達点に辿りつければ最高だけど。それにしても難しい…。
死ぬために生きている

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