楽譜が無い

海外、特に欧米ではクラシックギター人口は少なくない。強固な音楽理論と、支持基盤が相まってギター譜への転換可能なクラシック曲が多く編曲されている。現代曲も、実験音楽的ないわゆる難解曲だけでなく、広く聴衆に受け入れられ易い曲が多く作曲リリースされている。“ああ、禁じられた遊び ね”という金太郎飴的な、偏狭な一般知識とは大きくかけ離れて、楽器として広く認知されているのだ。なぜそうなったかは、自民党ならぬ国内の偏狭・古典的な業界の遺跡的な上位管理者層に大きく依拠している。何十年も、十年一日の曲をコンテストや演奏会で固定してきたら聴衆が離れていくのは火を見るより明らかである。まさに老害である。評価されない曲を披露しても見向きもされなければ、そうならざるを得ない。プロを目指す者は一定以上の経済水準を目指す、のは当然で、霞を喰っては生きていけないのだ。ニーズが無ければ、入手するチャネルも消滅し、結果としてアマチュアの手元に世界的評価を得たアレンジ・譜面が届くことはあり得なくなる。そりゃあ“ああ、禁じられた遊び ね”となる筈だ。ネットの普及浸透で、事態は緩和されてきているものの、既にクラシックギター人口の大半は、国内の偏狭・古典的な業界の遺跡的な上位管理者層に薫陶を受け盲目的に従属してきた老齢者が大半となってしまっている。責任をとって、と言いたいが。蟻の一穴で、何とか入手した譜面で必死こいて練習して披露。“それそれ、どこで入手したの?それ欲しいんだよね。”変化は突然、そして気が付けば大きく転換していた!”となれば良いけど…。

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