本能などを司る旧皮質に対して、新皮質は探求・理論などを司る。新皮質が増えた事で人類は進化した、というか進化の過程で新皮質が飛躍的に増加していった。本能である生きる、生き残る、種を残すという事が大命題とされる旧皮質だけであるなら、昆虫や多くの動物がそれに該当するだろう。理論は本能と相反する事も多く、そこに葛藤も生じ、悩みといったモノも現れ面倒くさくなるのだ。それが現代人と言えよう。新皮質が後逸され、どちらかと言うと旧皮質が一歩前に出た状態を強烈に示してくれる映画だった。“トワイライト・ウォリアーズ”。香港映画で、拙い表現をするなら、中国返還後に撤去された九龍城砦における派閥同志の覇権争いの熾烈な戦い、という話だ。凄まじいまでの激闘アクションは、この手の映画を見ない者にも訴求するレベルだ。何のために戦うか、という映画の主題らしきものも、どちらかと言えば旧皮質に準じるものと言えなくもない。本能に正直な方がはっきり・すっきりするし生き易いのかもしれない。発展形に物事を考え難いが、失敗や不利益も気にしないというのはストレスレスなのかも。それぞれの理論に立脚した共産党国家との、或いは自由世界との軋轢も、本能の前には立ち塞がり得ない。特殊環境に99年間置かれた香港人ならではのどうしようもない想いなのかもしれない。音楽も旧皮質に訴求するものだった。自分に不足するのは新皮質に属する音楽理論なのだろうけど…。
新皮質と旧皮質
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