ショパンコンクールで2位を獲ったまだ若き才能である。奈良東大寺での奉納コンサートを視聴して以来注目していた。指揮者を志向し、そのために楽器を一つモノにするために、その経緯を辿っている事も。何より商業としての音楽を認識している事に大きく共感した。クラシックが広く、深く浸透してるヨーロッパでは街中や街頭で音楽家が演奏する事が普通の事となっている。音楽性を追求すると同時に、それを支援する周囲の理解があると認識できる。崇高な目標があっても霞を喰って生きていく事はできないのだ。文筆業を目指す人も、文学と切り離された、いわゆる三文文章を売文して日々の生活を凌いでいる事が多いと聞く。生活を優先すると、どうしても本来の目的から遠ざかってしまう傾向があり、それは是非とも避けるべきで、そのために興行を目的とする株式会社を設立して、音楽を目指す仲間と共助を目指している、と反田本人が述べている。その兼ね合いが難しいとも。商業主義に走ると、音楽に対する意欲は損なわれやすいとも。実際には、どちらも生半可にはできないが、使える媒体や技術・方法は使って音楽追及の時間は十分に確保したいとしている。自前で会場費を捻出して仲間内だけで集まってコンサートらしきものを開催して互いに褒めあったりしても、自身の音楽性は高まらないし、目標も低いところで滞留しておわりなのではないだろうか。カネは対してかからないし、手軽に満足感は得られるので、“趣味”と認識しての事であれば良いのだろうが…。プロを目指している訳ではないので、それてで十分と言えなくもないが、若い時にはそれを目指す気があったが難路であるが為に諦めたとか、今からでもそのための隘路があれば目指さないでもないという人はゼロでは無いのでは?経済的にも、練習量や理論学習など決して安易にその途は選択できるものではないが、人生に残された時間は長く無い。!と思った人が居たら、考えみたらいかがだろうか。今の安定した経済や生活を捨ててまで、とは言わないが。
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