何でだろう

聴いてもらいたい人に集まってもらうPJを進める一環として、同様趣旨の会に極力出席している。そんな中での本日出席先は兵庫県加古川市の松風ホール。個人篤志家の出資で設立されたものだそうで音楽主体のホールとの事だったが、正直音響は…。地元複数人が設立したPJが運営している様で、出演者は自腹もしくは出演料を払って参加している様だった。下手の横好きという私が対象としていく予定の層が半分と、関西音楽大学出身者だが、今一つ世に出られない(≒特色の無い)プロの音楽家が半分での構成だった。前者への言及は不要として、後者が日本(世界的にもほぼ同様)に多いのは何故なのだろうか?と感じた。世に出る、事を先んじた為にポップスや童謡などを選曲して聴衆に阿る者も多いが、如何なものかと個人的には考える。今回のクラシック演者は比較的知名度のある楽曲を選択してはいるもののショパン・クライスラーなどの楽曲から自分なりの意味づけした選曲で演奏していた。ミスタッチも無く、聴き易く、お手本の様な演奏が大半だった。それだけだったが…。旋律やモチーフの知名度があるとそれに引っ張られて“あっ、この曲知ってる。良い曲だな。間違いなく弾いていて上手いな。”と聴衆の高齢者達は思ったろう。当方とてそこに異論は無い、が何だかな…なのである。これでカネ払え、となつたら怒るだろうが。2声・3声も明確でケチのつけられるところも無いのだが、何でだろう、面白くないのだ。無料だから聴いているが、カネを払ってまで聴きたいと思わないのだ。弾いている曲の楽譜の指示記号も目に浮かぶが、それを正確に再現しているのだろうなぁ、なのだ。カネを払ってまで聴きたいとは思えないのだ。もちろん世に出て有名な奏者も居るが、全員がカネを払って聴きたいかというとそうでない者も多いのは事実なのだが、世に出られないプロ奏者には何か足りないのである。前者と反対に、キッカケさえあれば十分通用する無名のプロも居るのだろうが。法律家・医師・研究者・大学教授etc沢山の時間と知識を積むための時間とお金をかけてきた人々。音楽家だって同様である。なのに音楽家はかけてきた時間とお金に見合うだけの報酬が必ずしも得られない。むしろ得られる者は稀である。そうした状況下で、我々はカネを払って育成してあげるべきなのかもしれないが、その気にならないのはなぜか。法律家・医師…はプロであり、我々がカネを払えば、望む結果を出してくれる。が、音楽家は必ずしもそうではない。そこが音楽家≒音楽の難しさなのかもしれない。

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