よくやってるなぁ、という感想。時事ネタに対する評論会というか、コメンテーターや評論家のもっともらしい論評が為されてるが、結局どうなのか どうなるのかは誰も、少なくとも部外者には不明である。ニュースになった時は結果であって、そのはるか以前に様々な事が取り決められ、帳尻合わせに当事者コメントや発表で衆生に知らされているのが実態。我々一般大衆ざわざわしても既に後の祭りで、事は決まり、粛々と自体は進んでいおり、我々が反対しようが後戻りできない様になっている。と、いうかしている。理由や背景・言い訳も含めて用意されている。結局、発表事項に対して誰がどうなった、誰が得したなどを拾い集めて、つまりこういう事ね、と判断するしかないし、その結果こういう風に変わっていくのだろうと推測するのだ。丁寧にやるなら、事態発生前の1.2週間前からの予兆を後から追いかけてみると、ふぅーん成程ねぇとなる。今回の米騒動もそんな感じ。事態発生を受けて、それを錦の御旗に各種選挙に打って出る泡沫候補の散り方をみても、わかる人はわかっているのではと考える。まぁそれ以前に訳の分からん無名な者に投票する酔狂な人も居ないとは思うけれど…。ヤマハピアノの完成度の高さや、日本人の世界的クラシック界における快挙は最近うなぎ上りだが、在邦音楽人の視野の狭さは変わりない様だ。楽譜に忠実なのはある意味当然だが、とても指が届かぬ運指まで果たして再現の様は有りや?再現される“音”が大事であり、奏法は人により、状況により、で良いのでは?1音ミスったらコンテストではボツとか、2分音符を4分音符にしたら伸ばしすぎてして、改変失格もしくは減点など、正確な再現テストか?音楽界上位者の狭量さと視野狭窄に才能者は嫌気がさして海外で、となっているのでは?事態がまん延し、音楽界として対策を発表するに至った時は既に時遅しで、その兆候は既にまん延してきているのでは?既に現役から遠ざかり地位・役職にとどまる事に全神経を注いでいる音楽卒業高齢者の発表を真に受ける衆愚になるのか、自分のアタマで考えて行動する音楽現役者でいるのか。行動すべきである。
テレビ討論会・時評

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