70歳を超えて個人教授は控えて自分の演奏に注力すると聞いていたが、同じ独り者なので且つての古参生徒が三々五々集っている様子。音楽の話をひとしきりして退出したが、最後に次の演奏会の演目曲を何曲か弾いてくれた。音(低音)が相変わらず素晴らしい。元々所謂テクニックは人並みだが“音”が突き抜けており、それを聴けただけで伺った甲斐があった。俗世を超越した奇人変人先生だが、神戸に来てからの付き合いも20年超となったラッキーは感ずるところが大。大勢を占める東京では正確に弾く、という事が絶対だが、流石関西では音楽の肝である音の方が優先される。弾きミスは無いのが当然とは言え、音を蔑ろにする事は無い。このあたりがクラシックギター界の東西分断の源で、未来永劫融和しないのでは。正統派で速弾きが珍重される東と、外見からも珍獣が多く速弾きより音を重視する永遠に西文化とは相いれないだろう。東大と京大の違いと似ている。いずれにしてもクラシックギター人口は年次を追って減少の一途で、気軽に無限の音種・音域を出せるエレキギターの方が一般受けするのは当たり前だろう。打ち込み・ボカロが当たり前の時代に、演奏者と楽器の能力だけに依存するクラシックギターは弱い。将棋・囲碁でスパコンの実力が半端なプロを上回っているのと状況は似ているかもしれない。その演奏者にしか出せない筈の“音”もコピーされる日がくるかもしれない。人の心を読んでしまう「ムジナ」という古いにほなの化け物が居る。こころを読まれて魂まで吸い込まれる寸前の旅人だったが、暖をとっていた焚火にくべていた薪が爆ぜる事はムジナにも読めず、それによってムジナは逃げ、旅人は難を逃れた、いう話。なぜこの音が出せているか自分でも100%判らない音ってあると思う。そこまでコンピュータはデータとして取り込めないだろう。
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