どこが到達点?

3年半続けてきたA MOMENT SUMMER (一瞬の夏プロジェクト)が大きく?動いた。演奏発表の場・機会が具体化してきた。市民講座的解説運営を行っている神戸市のPJの中で、各種施設への出張演奏講師である。審査を経ての運びとなるが、それを通れば長く在籍してもらいたいとの言であった。経費を除く対価は無くボランティアに違いないが、コンクール等の実績や講師としての資格が無いなかでの任命となれば願っても無いものとなる。状況により教室開設も可能性としてある。当初の参加希望のコンセプトとして当局に伝えたのは、「一瞬の夏プロジェクトで主張する、昔ギターを演っていて長らくご無沙汰している。また演ってみたい人や、前から演ってみたいと思っていたが機会がなかった人に発表の場を提供します。」というものだった。

同人会的団体は幾つか存在するが、大半はオタク的集まりで、秋葉原界隈の方々と同様に知識のひけらかし合いや所有するレア楽器・レア楽譜などの披露が目的の一つとなっている感が強い。音楽は好きで、その中でもクラシックギターが上位かな、というレベルの者には彼らとの溝を感じざるを得ない。彼らは彼らで居てもらって結構だし、否定はしない。こちらからは寄り付かないが、溝を越えて入ってくるのは拒まないという感じか。

選挙でもそうだが、浮遊層はどこにもあるし、優柔不断なのではなく、そこまでのめり込む(オタク化)はできない・しないという層なのだ。他にも好きな事・やりたい事はあるから、なのだ。「博士ちゃん」という人種も一人で何かを突き詰めていくのも楽しいが、人からそれについて質問されたときに嬉々としてそれについて話す=発表するときの溌溂とした笑顔を見ると、こちらは若干引きつつも楽しそうだなと感じる。やはり自分の時間を消費して得た知識・技術は誰かに評価してもらいたいのだ。オリンピックで選外となった選手も、自分なりに満足した顔をしている者が多い様に感じる。それで良い、のだ。誰かの、何かの“枠”に囚われたら、その中で優劣を競わされることになる。仕事で何十年も他を蹴散らし、成果や評価のために自分の時間を消費してきたのだ。それはそれで満足すべきだが、その“枠”を外れて自由にやりたい、ということだ。

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