yoasobiが海外公演して活躍中、らしい。古い言い方をすれば、“字余り”の歌詞を無理やり曲にり載せた曲って、70年代のフォーク曲だったと認識している。それも当時の洋楽の影響だった筈。直訳が日本語に訳しきれず、という結果だった。吉田拓郎が代表例と言っても良い。その後は、歌謡曲・Japanポップと変遷して、シンガーソングライターが浸透してきて再び字余り曲が増え、一般化した。3連符に15文字以上載せるなど無茶とも言えるが、それがヒップホップを経て今や一般的となった。当然曲自体もアップテンポ化して歌うだけで息が切れる。10代には当然・当たり前なのだろうが、言葉数が多いと歌う事や聴きとる事に手いっぱいで楽曲全体が記憶に残りにくい。それでは困るから、楽曲提供側はフレーズ強調にはしり勝ち。つまり聴いたら“ああ、あの曲”とすぐ判るし、口ずさめるけど、一年経ったら忘れている。新しい曲が直ぐに追いかけてリリースされるし。伝えたい事が沢山あるから歌詞が長くなるという言い分は理解できるけど、歌詞の吟味って必要では?聞いた事がある言葉、ありきたりの言葉を敢えて使うのは、より多くの聴衆に受け止められやすいけど、軽い。吟味した言葉を曲に載せるのは、響いてくるのに時間がかかる。早く浸透・商売化を求めれば、そんな悠長なことはしていられない。ライバルも待っていない。大変な時代だ。良い、と言われる何十年も残って歌い継がれる曲の歌詞は、刺さると言うか、抉る、胃の腑にどすんと落ちる。フレーズも然り。その分今の楽曲の方が、時代の条件をクリアして優れているとも言えるし、能力もあるのかも。コードや歌詞をアルゴリズムに組み込んでAI化が進んでいるとも言えるけど。
揺らぎ、や倍音といったアナログの自然界の音の魔法と調和させたクラシックな楽曲を聴くのは、どんなジャンルでも落ち着く。聴きたい楽曲は増える一方で、どっちに進もうか。
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