同系・同楽器の音楽集団にいくつか参加してみている。団体によってそれぞれ色合いがあるし、音楽的・技術的レベルにも差があると同時に、ガチガチに仲間感を打ち出し(本人たちにはその意識が皆無)て、新規参加を謳っているいながら新参者は排する、もしくは下僕視するおぞましいムラ社会団体が比較的主流である。元々クラシックという社会の中、もしくは音楽界でも希少な一団である。プロではない、当然所謂“オタク”的な強力なマイナスイメージパワーも持たない虐げられた集団である。変わった楽器・古楽器を巧み?に弾きこなし鼻の穴の拡がった者、作曲者や奏者の歴史・逸話などに詳しい者、同様形態のあちこちの無料の演奏会に顔を出して有名人?の様な大きな顔感を前面に出す者など、世にいう“撮り鉄”“乗り鉄”etc的オタクの横展開が音楽集団にも生きている。クラシックに関わる作曲家も奏者も、その時代には生活の糧であった筈であり、世に出るための手段であった筈だ。もちろん音楽が好きで、それなりに勉強し、努力し、技術もあったものと確信する。少なくとも“趣味”では無かった筈。だからかつての楽聖の大半は他をライバル視し、精進しただろう。“趣味”の者である我々は、過去の楽聖達のおこぼれをそれぞれ分けてもらえば良いのではないか。敵ではないのだから、気が合ったり、同じ志向性の者同士で緩くつながっていければ良いのではないか?他を圧したり、マウントを獲りたがるのは如何なものか。所詮素人である。何だかなぁ、の寒い人たちが多いのだ。そもそもレベルの高くない狭く小さな集団に居続けても何も得るものは無い。そういう環境に何10年も居続けたのだから、もっと門戸を開いて、新しい事を学べる集団になろう よ。〇〇先生の編曲だとか、△△教室の最上級クラスに居るとか、コンクールで優秀賞を獲ったとか、世界からみたら評価ゼロだから。だから音楽界でも評価が上がらないし、弾き始める者が減るのだ。一生小さなサル山のサルで居てください。黙祷。
だから嫌われる

コメント